開会のあいさつ
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府内城を復元する会:会長 淵野 耕三
大分市は、大友宗麟公の時代
南蛮文化の花が開き
江戸時代には類を見ない商人街をも堀の中に取り込んだ
理想の府内城下町は
大変な賑わいであったと伝えられております。
その賑わい再びと、
・府内城本丸の復元模型の作製
・小中学校での出前授業
・春祭りの復活に取り組んで参りました。
そして、
今回の府内城フォーラムを開催したところであります。
来春には、新大分駅ビルの完成を控え、
中心市街地は大きく変わっていく時を迎えております。
江戸・明治・大正・昭和と、受け継がれたはずの
豊の国の人情・情緒を今一度確認しあうシンボルとしての
お城を私どもは考えております。
どうか皆様には、
府内城復元のために、ご協力をお願い致します。
※一部省略しております
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来賓挨拶
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大分副市長 右田 芳明 様
大友氏400年の時代
そしてその後の江戸時代と
近現代におよぶ400年の歴史は、
いずれも県都大分市の基盤となった
かけがえのないものであり
現在に生きる我々は
その歴史を確実に
次の世代に伝えますとともに、
歴史遺産から沸き上がる
さまざまな魅力を
情報発信していかねばなりません。
※一部省略しております
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大分市議会議長 板倉 永紀 様
400年以上にわたり
豊後府内の中心として機能し
最近では県庁や文化会館に形をかえながらも
本市の発展を見守ってきた府内城は
多くの市民の憩いの場にもなっており、
今後のとも、市民のみなさまの心のよりどころ、
本市のシンボルとなって行くものと確信しております、
※一部省略しております
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その他、ご参加頂きました来賓の皆様
(株)大分銀行 個人営業支援部 部長 後藤 康夫 様
(株)伊予銀行 大分東支店 支店長 二宮 秀介 様
NPO法人大友顕彰会 理事長 牧 達夫 様
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基調講演(1)
「平成の城普請 大洲城」
〜天守復元への大洲市の取り組み〜
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愛媛県大洲市教育委員会
文化スポーツ課
岡崎 壮一 様
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大洲城跡の概要
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大洲城 歴代の城主
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復元の根拠
・古絵図
・古写真
・天守雛形
・発掘調査の成果
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事業費と大洲市の取り組み
・事業費 約16億円
・募金・募木活動
・PR活動
・イベント
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天守復元後の大洲城
・観光客の推移
・市民イベントの開催
・新たな公園整備の開始
・イベント
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むすび
天守復元を契機と致しまして
市民イベントが開催されるようになって
大洲城に対する注目度・関心度が増したことによりまして、
大洲市歴史的風致維持向上計画を
策定することともなりました。
結果的に、城そのものの価値を高める制度へと
つながっているではないかと思っております。
この様に考えますと、
天守復元がもたらした効果というものは
非常に大きかったのではないかと言うふうに思っております。
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基調講演(2)
「日本一の刀鍛冶、ふるさと府内の町を語る」
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「日本一の刀鍛冶、ふるさと府内の町を語る」
全日本刀匠会常務理事
刀匠 川崎 晶平 様
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刀匠について
・文化庁の許認可業である
・刀を鍛える現場の話
・トンチンカンの由来
・戦国時代から大分には刀匠が居た
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幼少の思い出
・祖父母宅の事
・刀匠独立の場を求める
・県外だからこそ大分を想った
・大分の優しさに気が付いた
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刀の波紋
・風景を描き込む
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違う世界とのコラボレーション
・エバンゲリオンの作品
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むすび
お城の関わる何かをもつ事ですとか
みんなが愛着を持てるようなこと、
なにかをイベントをやる。
それが継続していけることが、
府内城の復元等、
維持につながるのではないかと考えております。
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パネルディスカッション
「城下町おおいたの賑わい ふたたび!!」
≪よみがえれ! 府内城≫
コーディネーター
元大分県立歴史博物館 館長 髙橋 徹 様
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パネリスト
・佐藤 道文 様
大分市歴史資料館
埋蔵文化財保存活用センター勤務
・津田 剛 様
(株)ドリームプロモーション 代表
・佐藤 由起子 様
大分県信用組合融資部
けんしん中小企業支援センター勤務
・佐藤 弘俊 様
(株)佐藤塗工専務
NPO法人大友顕彰会 事務局次長
アドバイザー
大洲市 岡崎 壮一 様
刀匠 川崎 晶平 様
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※おことわり
以下の記事は、シンポジウムを収録したビデオから発言を
取り上げておりますが、要約して記載しております。
よってパネリストが発言したそのままの言い回しではなく、
発言意図を大切にしながら編集をしております。
徹:今回は、専門家が話を進めていくシンポジウムではなく
一般の普通の生活する人で、思いを出して確かめ合いたい。
そう考えて進めて参ります。
剛:復元する会の存在をきいて、すごくうれしかったです。
ボクは荷揚町小学校(府内城を校区に持つ)の出身で、
学校の行事や放課後の遊び場として府内城があった。
特に、なにも感じていなかった場所が、大人になって、
歴史的な事を学んで、スゴイ場所だと知りました。
ボクは、TV番組を制作していて、
「ダッシュくん」と言う番組では、
子供達の夢を叶える内容でやっています。
その中で、郷土愛が薄いと感じていました。
それは子供達が郷土を愛するキッカケがないのでは?
そう思っていたときに、府内城の話を知りました。
ぜひ府内城の復元につながればよいと考えています。
由起子:勤務先の業務の中で、市街の古地図をもって、
実際に街を歩いてみる活動をした事があります。
その中で現在では使われていない、旧町名について
考える機会がありました。
例えば、大工町・魚町など、城下町を感じました。
地図をもって行けば、いろいろな事がわかるのですが、
普通に歩くとき、判りづらい場合があります。
復元にあたって、城だけでなく城下町を含めた、
活動にしていって欲しいと思っています。
道文:大分市役所の立場として、剛さん・由起子さんの
お話を聞かせて頂き、いろいろと気が付きました。
平成20年から案内板を設置して参りました。
しかしながら、案内板・説明板・交通標識と
街には、いろいろなものが混在しております。
ごちゃまぜになってわかりにくくなる事を憂慮し、
目立たない場合もでてきたかもしれません。
中心市街地に、4つの公園があります。
若草公園・ジャングル公園・城址公園・遊歩公園とあります。
それぞれ公園の特徴があり、それを生かした説明を
記した案内板を設置しております。
また、旧町名の話がありましたが、
府内の街は、江戸時代の前、大友の時代からつながっており、
それが特徴であると感じています。
弘俊:大友の話が出ましたの、少し説明します。
大友の時代は戦国時代です。
当時、府内町は現在の場所から離れた所に町人街がありました。
遡れば、鎌倉時代の頃です。
現在の地名で言う「元町」に街がありました。
当時から、府の役目をした場所であったとのことです。
府中と呼ばれていましたが、戦国時代に府内となりました。
歴史的に「豊後の府」として中心だったのです。
府内城の復元は「府内文化」の復元であります。
そして府内文化につながる大友400年の積み重ねを
連動していくことで、大分の様々な文化を連携できます。
食・音楽・絵画・美術・産業など
関連して、祭りの話をします。
京都や博多など、大きな祇園祭があります。
この祇園祭りは江戸時代からあったようですが、
その祇園祭は、府内でも行われていました。
歴史的に見ると12世紀には行われていたとの事です。
九州全域から人が集まり数万人規模の祭りです。
それだけ府内の街は、賑わいを持っていた街です。
街の活性化の方法の1つとして、
府内城の復元もあり、祇園祭の復活もあります。
いろいろな事をつなげていければいいと思っています。
徹:これからの大分市は、駅周辺の開発や、
市街地の活性化を課題として進めていきます。
かつての府内城は、内堀から外堀の間で、
すべての機能が収まっていたコンパクトな街でした。
大分県美術館なども控えていますが、
街づくりの参考になる部分はあると思います。
旧町名を生かした商売のしかたも出来ますね。
会場からの御意見:
取り組みは正確な情報を元にやって欲しいです。
瓜生島など検証すべき歴史テーマは他にもあります。
ボランティアの意見を取り入れる仕組みを希望します。
他県の観光ボランティアは研修を重ねて立派な体制でした。
大分市では観光ボランティアの制度が確立されてないです。
府内六恵比寿を見直そうと始めました。
貧困者の救済など急務な案件もあるのに城の復元が優先されますか?
※受付ロビーで頂いた御意見です。
総評(徹):
通常、意見も何も出ず、すっと終わるのですが、
今日は、参加者も会場からも良い意見が出されました。
少数精鋭が集まった会だったと感じております。
これからは若い人たちも参加してもらい、
老若男女で一緒になって大分の街を考えたいです。
老人達は最後の善行と思い、
若い人達は自分たちの人生の街を考えていく。
みんな、WinWinでいきましょう。
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閉会のあいさつ
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府内城を復元する会:総務委員長 宗 公一郎
皆さん、長時間ありがとうございます。
今日は、若い人の意見を伺いたく、
30代・40代に集まってもらいました。
初めてのフォーラムでした。
大分の街の活性化の原点は
「府内の城下にある」と思っております。
行政との協力もしながら、
皆様の力で大分の街の賑わいを
取り戻していきたいと思います。
※一部省略しております
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